昔の思い出を掘り起こす

今日の夜、久しぶりに母と台所に立った。
というか立っていた。

話を合わせてだとかそういうことはしてないけれど、気づいたら一緒に台所に立ち夕飯を作っていた。別に意識してもないのに、ふと「あれ、一緒に料理をしている」という気持ちになった。

いつかはこんなこともできなくなるし、いつのまにかやることもなくなっていた。
その状況になにか感動したとか懐かしさを感じたとかではないけれど、久しぶりのことだなとは思った。一緒に料理だなんてもう10年以上してなかっただろうと思う。

これから母は1人になることが増えるし、もう簡単に会うこともできなくなってしまう。
心配だし寂しいけれど、自分の人生を全うしないといけない。

本当はもう全てどうでも良かったから、このまま母と暮らして死にたいときに死ねばいいんだって暮らしをしたかったけれど、何一つ恩返しもできてない母に対して、せめて自分という重荷を背負わすのはやめようと思った。
自分の人生を生きることが、母にとっての安心に繋がるのかもしれないとも思った。

これから過ごす約半年は、もう二度と味わえない、噛みしめることのできない日々なのだ。次の春にはもう、母と、そして猫たちとの別れなのだ。
永遠の別れではないことはわかっている。それなのに自分はまだメソメソしている。

本当に甘い考えで不甲斐ないし情けない、みっともない人間だと思う。
母にとって、猫たちにとって誇らしい家族の一員になれる自信がない。

でも、それでも生きていかないといけない。

逃げ場はこの日記だけで、人ではない。
悩みや悲しみを人に打ち明けたところでそれは時間と労力の無駄なのだ。
同じ境遇でもない限り、気持ちがわかるとか、アドバイスだとかを言われたところでなんのあてにもならないしそれに頼ることが哀れだからだ。

結局何事も最後は自分に責任がある。他人のせいにしてもなんの意味もない。




と、いうことは重々承知の上で、たまにひっそりとこの世の鬱積を他人のせいにしながらつぶやく独り言とメシと酒が美味かったりする。綺麗事を言い聞かせて生きてはいくけど1人の時ぐらいいいよね。

でも自分の中から出たあとはそれを切り替えないといけないんだけどね。