何回も

ブログから1年以上離れていた

 

今は新しい職場になり、やりたいことも固まってそこを目指している。

 

あんなに人との関わりが怖かったのに、いまは優しい人ばかりの職場に勤めることができあの頃とは比べられないくらい安定した自分になれた。

 

色々な出会いと別れがあり、付き合っていた人とは別れ、新しい恋人ができて別れ、今は一人暮らしをしている。

 

働いている中でもちろん辛いことも辞めちゃいたくなる時もあるけど、それでも毎日が良くなればいいなと思いながら少しのことを諦めたり、でも大事なことは大事にしつづけてられている。

 

こんなふうに生きていられることがとてもうれしい。こんなふうに毎日を過ごせるなんておもってもなかった。毎日残業があったり疲れることもあるけど、ありがたさばっかり出てくる。

 

人生は何回でもやり直せるし何回もダメになる。でもいい日もあって悪い日ばかりのときもある。こんな人生が送れてとてもうれしい。本当に嬉しい。

 

 

映画館

小学生の頃、何年生のときだったかは忘れたが特に欲しいものもない誕生日だったため、映画に連れて行ってもらうことにした。

その時上映していたものを適当に選んで母親と一緒に観たのだが、始まる前のワクワクやポップコーンの匂い、ドデカ音声に圧倒され、「映画を観る」という行為にハマってしまったのだ。

その日から、新聞が届くとテレビ欄を見たあとに今日の上映スケジュールが乗っているページを探した。毎回同じページに乗っているわけではないのだ。見に行く予定もないのに、今日はこの時間からこれをやっているのか、今ごろあの映画の上映時間か、と考えるようになった。

たまに連れて行ってもらえると、本当に嬉しくて楽しくて仕方がなかった。頑張っておねだりして買ってもらえたジュースとポップコーンや、3Dメガネは当時の大切な思い出だった。


いつの間にかそんな日々よりも大切なものとか楽しいものだとかを見つけて、精一杯の思い出たちは知らない場所に置き去りになってしまった。映画を見ることだけではない。デパートに行けること、セルフレジを使えること、洋服を買ってもらえること。たった数年前までは特別で嬉しかったことが、当たり前になり喜びとか悲しみだとかの感動を得られるものではなくなった。

改めて考えてみると寂しいことだし切なくもあるのだが、その分新しい楽しみや嬉しい出来事はどんどん増えていくのである。でも、なるべく忘れないようにしたい。

昔はこんなことが特別だったんだ、この当たり前は楽しみで仕方のないものだった、と思い出せるようになりたい。そうすれば、ちょっとだけあの頃を思い出せる。あの時代、あの日々、遊んでいた友達、観ていたテレビ、好きだった芸能人、嫌いだった食べ物。

たったすこしのかけらから、たくさんのことを思い出せればオトクな人間だ。去年までは夏が嫌いだったけど、今年なそんなに悪くもないって思えるようになった。

数年たって、「夏も悪くない」が当たり前になったとき、嫌いで早く終わってほしいと思っていた当たり前だったあの頃の、何を思い出すのか楽しみだなって思った。

毎日のたのしみ

ここ最近は少しずつ何かを頑張り始めることあできている。

ありがたいことに新しく始めたバイトが半年続いている。はじめのうちは逃げて休んでしまうことがあったのだが、ここ数ヶ月は1日も休まず行けている。
あたり前のことができるようになっていくことがとても嬉しい。

とはいってもまだまだではあるのだが、時間通りに出勤する。、決められた業務をちゃんとこなす、疑問や不安なところはすぐに聞いたり相談する。そういう当たり前のことができるようになるのと同時に、他の人はこれができて当然に生きているんだなあとも感じた。

 

やりたいことや成し遂げてみたいことがいくつかできた。もしかすると死にたくないため言い訳かもしれないが。自分は他人よりも歩幅は狭く、寄り道や休憩が多いタイプなので時間はかかるだろうけれど。

いくら冷静になっても、自分はきっとこの先も人より不器用な生き方をしていくんだろうと思う。花の絵を描けと言われ、すぐに茎と花びらと葉を描いて数分で終わらせることができる人がほとんどの中、自分は、「花ってなんの花だろう、何色にしようか、何輪か描きたいな、花っていう曲がこの世にはたくさんあるよなあ、そういえば今何をするんだっけ。」というふうになるのだ。

もうこれは今更この年になってどうにかしようという気もない。様々なことを割り切って受け入れてどうにかするしかないという年頃だ。

こんな自分でもできることはあるのか、世の中の役に立てることなどあるのだろうか。と考えたりもする。社会や世の中が嫌いでたまらないのに、でも役に立ちたいと思う。結局、人とのつながりを感じたいし社会の歯車の一部になりたいわけである。

でも、なりたい形になれないとか、他人から無理やり変えられてしまうから嫌になってしまうのだろう。自分のやりたいようにやるために普通とは違う歩き方をするのだ。普通のことすらできない自分なのに。

でも、きっとだれかが見てくれているし、わかってくれる人がいるし、助けてくれる人もいるかも知れない。人任せな言い方だけど、今は仕方ない。一人で生きていけないのはわかっているし。

よくわかんないし焦ることもあるけど、とりあえずはやってくる明日と過ぎた昨日を少し思い出しながら、今日も一日生きていくことにする。

明日

2ヶ月ほどブログとは離れ離れであったが、この期間で少しずつ自分の人生を見つめられるようになったと思う。

1人の友人との縁が切れ、やりたいことをいくつか見つけられたり、やっと安定して働けそうなバイト先も見つけられた。急に訪れた好調期であるからすこし不安にもなるけれど、なにかしらに繋がったり助けになってくれると良い。

それでもやっぱり先の不安は消えない。何かを頑張ってもうまくいかなかったり、きっとまた底に叩き落されるのかもしれないと思ったり。それでも人生を歩まないといけないし、だらけても一生懸命でも明日を迎え続けて、それがいつ終わるかもわからずに生きていくんだと。

なにか大きなことを成し遂げられなくてもいいから、大金持ちになれなくてもいいし恵まれた生活を送れなくてもいいから、自分を好きでいられる生き方がしたい。楽しいこととか辛いこととかが同じくらいで、どちらかが多くても嫌だし少なくても嫌。

これこそが幸せであり手に入れるのが難しいものだとおもうけどね。まあそれでも願いながら生きていけばいつかは少しでも手に入れられるかもしれない。

あとどれくらい人生が続くかわからないけれど、なるべく布団に入るまであっという間の1日ばかりになるといい。楽しみでも、嫌でもなく、次の日を何ともない気持ちで迎えられる日々が良い。

明日もそうでありますように。

気持ちの問題

本日、地元の観光地を通りましたら韓国からの観光客に道を聞かれた。

当然韓国語は話せないので目的地まで一緒に行くことにした。
ちょくちょく道を尋ねられることはあるが日本語以外話せないのでいつも案内する。

案内し終わったあとにお礼を言われ、「サイコーニホンジン」と言われた。
おもしろかった。

その後来た道を戻る際にすれ違った女子高校生が何人もいた。みんなスマホをいじるか、前髪やメイク直しをするか、写真を撮っているか。もちろん自分が高校生のときはそんなことはなかった。そんなことはなかったから目に入る。

みんなかわいらしくて、きっとこの子達がおとなになるときに今の自分を見返しても黒歴史にはならないだろうなとおもった。恥ずかしくてその時の恋人に見られたくないと思ったり、こんなことならあの時少しでもおしゃれを頑張るんだったとも思わないだろう。

どこで見かけても、制服を着た女の子たちはスマホと鏡にうつる自分に夢中になっている。静かで喋らずにいる。たしかに自分が高校生の時の写真はあまり見せられるものでもない。でもあの時を思い出すと、写真の中の自分よりも楽しかった思い出のほうがずっと鮮明に目の前に再生される。可愛くなることよりも、ばかみたいな事をしてゲラゲラ笑っている方が楽しかった。

でも今の子達はきっとおとなになって思い出すこの瞬間に同じような思いを抱くだろうな。可愛くなるため、SNSでよく見られるように頑張ったこと、笑い合うことよりも優先した価値があったと思える未来になっているといいな。

繰り上がった時代とやってくる時代の間にいると不思議な気持ちになる。これでいいのかって思ったり、大丈夫なのかと考えたりするのだが、案外大丈夫だったりもしそうだと思う。

いつか自分も古い時代の人間になる時が来る。来る時代についていけなくても否定はしない人間になれればいいかもしれん。

また

自分のような人間が何を報われようとしているのか、という気持ちと、それでも幸せになりたいという気持ちが交互にやってくる。

 

ここ最近の人生がこれまでの償いだとして、遠い昔にもたくさん小さな辛さや悲しさはあったと思う。

 

けど思うのは、歳を重ねるにつれて背負う苦しみの量も質も増していくのに、自分自身のキャパはずっと小さいままだということ。大人になったからと言って強くなれたわけではない。でも強くならなければいけないし、なれないならフリをしないといけない。

 

何かいいことや嬉しいことがあっても、すぐに嫌なことや辛いことがやってくるわけで、その度にやっぱりな、という気持ちになる。

 

年が明けてまた1年を過ごすわけだけど、この先きっと、もっとたくさんのことが起こってしまうのだろう。あの頃の自分のまま置いてけぼりなので、きっといつか限界も来るんだろう。

 

それはしょうがないことだし、受け入れるつもりだ。けど、少しでもどうにかできればいいし、少しでもその限界点を遠くにもっていければいいな。思いつきもしないような出来事がたくさん起こると思うけど、少しずつでもいいしゆっくりでもいいし、目に見えてわかるような動きがなくてもいいから、がんばれるようになりたい。今年はそんな1年にしたい。

振り出しに戻る

清掃のバイトを休職することになった。

この1ヶ月、それなりに頑張ってきた。休みながらも1日5時間、頑張ってきた。
でも徐々に、起き上がることがつらくなり今日ついに何もかもがだめになってしまった。何度も何度も「今日は休みたい」と思いながら、なんとか起き上がり頑張って、帰りには後悔を残さずにいれた。

でも、毎日疲れ切って、もうだめだって思った。
せっかく頑張ろうと決めたのにまたこうなってしまった。

正直なところ、他人の生き様が支えになることはない。あの頃のこの人の苦悩やつらい日々、今をときめくあの人のつらい人生、正直なんの役にも立たない。

他人の生き様を参考にすることで余計につらくなることがあった。この人もこんなふうに苦労していた、この人もこんなふうなハンデを抱えている、けどそれ相応の才能や天性の何かしらがある。本当の天才なんだってこと。

じゃあ何も持っていないただの自分は?この人を参考にしたところで何の役にも立たないし何も好転しない。だからやめた。

この先どうすればいいのだろう。たとえ先が短いとわかっていても苦しい。それに本当はちゃんと楽しく生きていきたい。でもそれができない。

いつも思うのは、きっと普通の生き方をできる人が1番幸せで、1番この世で少ない。平凡な毎日がいい。でもそういう人は大抵、非日常が欲しくなる。

普通じゃないことがこんなに苦しくてつらいのはしょうがないことなのかな。どうしたら幸せになれるんだろう。どうしたら毎日笑って暮らせるんだろう。

全部がわからない。