呼吸の仕方を変えてみる

また、バイトを休んでしまった。

どうしても起きられなくて、熱と嘘をついた。その日を合わせて3日間の勤務があったけど、もう全部がだめなんだと感じてしまって残りの日も休んだ。

またこれだ。こんなことになってしまった。がんばって行けていたのに。どうしてなんだ。なんでできないのかな、情けなくて恥ずかしくて悔しい。

落ち込んでは立ち直ってまた頑張って、けどまたうまくいかなくなるということの繰り返し。


少しずつでも頑張りたいので、また元気になれば頑張りたい。頑張らせてもらうことがどれだけありがたいことか、恵まれているのか。それは本当にわかっている。だからこうなることが本当に申し訳ない。

またがんばりたい。少しずつでもできるようになりたい。
焦らないでゆっくり、少しずつできるようになればいいんだと最近になってようやく思えてきた。完璧主義が少し緩くなってきた。

前よりも少し心が楽ではあるけど、どうなんだろう。まあでも少しずつでいいよね。人に迷惑かけたりすることもたくさんあるけれど、落ち込みながらも頑張ろう。

頑張りたいこと

これまで生きてきてたくさんの過ちを犯してきた。

沢山の人を傷つけたし悲しい思いにもさせた。気づかぬうちに酷いこともしたしひどい言葉も投げつけた。小学生のころからそうやって人を傷つけたし、中学生になっても沢山の人に迷惑をかけたうえに傷つけた。きっと自分のせいで今でも引きずるような思いをしている人がいるかもしれない。

誰が聞いてもよく思わない行いをしたり嘘をついたり言い訳をして逃げたりした。その分のバチは当たっている実感もあるし人生がこうなっているのも自業自得だと言える。そうやって人を傷つけて良くない行いをしてきた自分が幸せになれるわけがないということだ。

なのだが「でもやっぱり」という気持ちが少しも消えない。
こんな生き方をして、少しも人のためにはなれずに胸を張れることは何ひとつないのに後ろ指をさされることばかりをしてきた。だからこうやって天罰食らってる途中なのになんでまだこんなことが考えられるんだろう。

この気持ちがなくなればどれだけ楽なのかなとも思う。でもそれはどれだけつまらないのかなとも思う。現状に満足できればいいのになと何回も考えるんだけども出来ない。

赤点以下のこれまでの人生なのだが、死ぬときに平均して70点くらいまで持っていければ上出来なんじゃないだろうか。悪くない人生だったと言いたいし、誇らしくはないけどこれまで頑張って生きてくれた自分のことを認めてもあげたい。

それってとても難しくて時間のかかることなんだろうな。今が全てではないけれども。この先もきっと意図せず人を傷つけたり、まずいとわかっていながらも間違いを犯したりするのだろうか。前者は治すのに時間がかかっても後者は自分次第だろうな。

「でもやっぱり」の次に出る言葉を現実にするには、今の自分を認めることと人生の平均点を上げるということが必要なのかもしれん。
でもそれって結構たいへんそうだな。でもやっぱり自分を認めてあげたいから少しずつ頑張るか。

よかった

今日は客室清掃のバイトを初めて10回目の出勤日だった。

こんな自分が10回も出勤できるとは。途中で2回ほど休んでしまったけれど自分の中ではよくやれている方だと思う。

でも今日は部屋数も多くてペアの人も知らない人だった。すごく不安になって一瞬休みたくもなってしまった。でも帰りにコンビニでお菓子を買うと決めて起き上がった。



いつも通りに清掃をこなしていくのだが、やっぱり人よりもスピードが遅い。
ペアの人も未経験なのにすいすいと進めていく。効率良く動けるからなのか単に自分の効率が悪いのか。

もう初めて10日も経つのにいまだにちょこちょこと何かを忘れることがある。掃除していたのに、ふと思い出した業務があれば放り出してそれをやり始める。そのうちにあれもあらなきゃとバタバタする。そしていつのまにか掃除することを忘れてしまう。あとから思い出してバタバタ急ぐ。

正直これが自分にとっての普通であり、もう自己嫌悪に酔うことにも飽きた。当たり前だし諦めている。掃除をしながらつくづく自分の無能さを実感した。きっとここで働く人とも、それ以外の人とも、自分は頑張っても並ぶことができないんだと思った。


掃除が終わり帰りの支度をしていると、所長に

「銀オムさんの清掃はきれいだってチェッカーから聞いてるよ」

と言われた。少しだけ嬉しかった。帰り道で何回も頭の中でリピートした。やっぱりすごく嬉しかった。コンビニには寄らなかった。

何も感じられなかったけど、少しだけできるようになったことがあるんだなって思った。よかった。人より遅いしどんくさいしうっかりすることはあっても、底から動けないわけではないと思った。

今日はバイトを休まなくてよかった。起き上がってよかった。


「こういう人間」

最近から新しく掛け持ちのバイトを始めた。

客室清掃のバイトで新しいホテルなので、やや潔癖の自分には嬉しい。そもそも潔癖なのにどこの誰が使ったかわからないトイレや水回りを掃除するバイトを始めたのは大丈夫なのだろうか。

責任者のおじさんは優しくて話しやすい。社員の方も話しやすい。
だがパートの責任者の人は苦手なタイプだった。その隣りにいる側近みたいな女の人もものの言い方が苦手だ。

今日もペアのおばちゃんとせっせと掃除をした。いい人もいて話しやすくて良くしてくれる。珍しくしばらくは頑張れそうなバイトを見つけることができた。

世の中の人は本当にすごい。1つの仕事をしばらく続けられるし、嫌なことや苦しいことがあっても逃げずに立ち向かう強さをもっているひとが多いと思う。そしてそれはこの世の基盤でありできて当然のこと。



基盤にはまることができない自分は弾き飛ばされて端の方を歩いている。

「こういう人間はただでさえ足手まといなんだから、世の中の人と同じ社会で生活するためには端の方を歩くべきなんだ。」

2年前の秋、いつかの誰かにそう言われた。
自分自身に対して言われたわけではなく、その人にとっての「こういう人間」との出来事の話で出た言葉だった。これが世の中の本音なんだと初めて知れた。

「こういう人間」の部分をひた隠しにして今までなんとか精一杯生きていた。この数日後から心療内科に通う生活が始まった。

秋になるとあの日々のことを思い出す。毎日思い出す。思い出してその時見ていた電車からの景色や病院までの道のり、プラットホームのなかで何度も聴いた発車メロディだったりを思い出す。でも見ていた景色の大半は俯いた先にあった自分の足元だった。

いまでは働くこと自体にちいさなトラウマを抱えるようになってしまった。社会で生きていくことがもっと難しくなってしまった。そのなかでいま再び働き始めてみた。またいつかどこかで悪い方向に進んでいく気がする。そう考えるとやっぱりこの先が不安で仕方ないし怖い。

どうしてこんなになってしまったのだろうか。あの言葉のせいだけではないと思う。きっとこれまで自分のSOSに気づけなかったからだとおもう。こうなってしまっては本当に元通りにならないんだな。

まあでも、それでも来る明日をなんとかがんばってみよう

人生を試す

たとえば30代になったとして。40代になったとして。50代になったとして・・・
というふうにふと考える。もし死にきれなかったら、もし生きながらえてしまったら。
何の誰の役にも立てない自分が、ただただ年だけを取り仕事もなくなり体も弱まっていくだけ。

恐ろしすぎる。
苦しむために生きているようなものなのに、好きで長生きなんてするわけない。
確証もないけどこの先の人生が充実したものや生きててよかったって思える日は来ない。あと数年の人生と見たときに、その殆どを労働でつぶすのは馬鹿のやることだと思った。

なのでこの際、住んでみたいところに住みやりたいことをやる。関わりたい人と関わる。仕事はそのついでとしよう。

こういう生き方をしたときに、結果どうなるかが気になる。まともに職について勤勉に働いた場合と、のらりくらりその日暮らしを続けた場合。

少し実験的な生き方にはなるがここに記していこうと思う。

焦りのやめ方

まだ若いのだから焦らなくてもいい、とよく言われる。
でもやっぱり、自分の生きる理由とかできることも何もなくて、だから焦るので意味を探そうとしても何も見つからないからまた焦るわけで。その繰り返しである。

焦らないことは難しい。何かをいつも欲しがっているし、いつも羨んでいるからだ。
大きな人になりたいと思ってたこともあるし、自分は人とは違ったことができるスター性のある人間なのではないかとも思っていたこともある。

こういうことから目を覚ましたときが1番、虚しかったりする。
その他の、あまりにも打たれ弱い自分のせいでいくつもの嘆かわしい日々を過ごした。
こんな日々だからもうやめにしたいと決めたのに、なのにやはりどうにか輝きたくて何かを成し遂げたくて、誰かの役に立ちたいと思う。

人並み以上どころか、誰もができて当たり前のことすらできない自分に何ができるのだろう。臆病さと固定観念さえ捨てることができれば、だいたいのことはうまくいくだろうと思う。でもこれが自分にとってはとても難しい。

みんなはどうやっているのだろう。
しばしば、他人の人生が気になる。どういう生き方をしてきたのかとか、こういうときはどうしたのか、どうやってここまでいきつけたのか、など。

それを聞いたとしても、結局その人のように離れないから意味ないのだが。
何事も簡単に諦めて生きていけることができればいいのに。



選ぶ権利はありません

久しぶりの日記になる

最近から転職活動を始めた。
そして母がまた入院した。
うちに猫たちが少し太った。
恋人とばかみたいな回数の喧嘩をした。

くらいのことしか怒らなかった。
けれどひとつひとつがどっしりとした日々だった。

デザインやテレビ制作系の企業に応募している。どっちも自分の好きな分野でありやりたい分野だから、気が乗らないなんてことはない。

でも好きなものを仕事にするのは掛けでしかない。
これがだめになってしまうと、もう何をやってもだめなのだから。

でも、他に何もできない自分には、スキルも何もない自分には好きなことをどうにか仕事にして行くしかないのだ。これがだめならもう本当に人としてだめなのだ。

しばらくは少ししんどい日々が続くとはおもうが耐えねばならない。
こんな自分を拾ってくれる所があればそこで一生懸命働くのみ。