二酸化炭素を吸い込む

心のなかでなかなか大きな転機を感じ取るときはたまにある。
毎回、この瞬間から先の自分の人生を意義のあるものにするぞ、と意気込むのだが、熱はすぐに冷める。

生まれた情熱を本物にできなかったときの劣等感、ひとりごとさえ吐けない情けなさがまた増えていく感じがするのだ。

いわゆる「その道のプロ」と呼ばれる人々の人生を調べ尽くして真似ればいいのだろうか。ウィキペディアの住人になるくらい、自分の憧れる人の人生を読み漁る繰り返しばかりしている。

こんなことは時間の無駄であり、何も意味がない。
何度も自分に言い聞かせて、自分の人生を頑張れよ。
と、発起しても時間が経てばこれまでと同じ中身のないことばかりしている。
「あ、まただ。」と気づいても、頑張ることに疲れてしまったのか、怠けなのか。

こういうことは考えたくはないけれど、自分の人生はきっと空っぽのまま終わるのだろうと思う。楽しいこともたくさんあったけれど、どうして苦しみや辛さや悲しみは、数々の幸せを軽く飛び越えて簡単に覆い尽くしてしまうのだろうか。
せっかく集めた楽しい思い出とか嬉しい出来事とか、なんで簡単に真っ黒にできてしまうのだろうか。

この繰り返しが人生なら、ただどんどん疲れてやつれていくだけなので、早めにやめたい。でも、おいらのような人間はもれなく臆病者で小心者なので、いつも人任せ風まかせにしている。

自分の人生は自分のために生きるべきだと、自分の幸せを大切にするんだと説教食らうけれど、あんただって人任せ風まかせに生きてるじゃねえかよ。小さいこととか大きいこととか関係なく、気づかずどこかで人任せにしているくせに、自分が素晴らしく孤独に荒波に抗い生きてきました、っていう顔をしないでほしい。反吐が出る。

きっと自分は、年を取ればこうやって反吐を履かせることを平気で言っている人間になっているのかもしれない。

将来の自分がもうすでに嫌いだ。だから、明日を生きたくない。こんなに今日を生きるだけで精一杯なのに、また明日も精一杯をやらなきゃいけない。
そしてその先に待っている自分は反吐人間。
意味のない日々なんだよな。