感情的になることで得られるもの

感情的になったり怒鳴ったり泣きわめいたりすることはあると思う。大体の人はそうだと思うし間違ったことではないと思う。

恋人や友人や家族に対して怒りや悲しみの感情を抱く。
自分が信頼し好きな人であるからこそ自分のことをわかってくれない、傷つけられたと感じるとそれは他の人よりも大きく感じるのだ。

それが当然だしそれは自然なことだとも思う。
感情的になるのもしょうがない。





しかし結果として感情的になることでプラスになることや得られるものはとても少ない。芸術家くらいしか思い浮かばない。怒りをエネルギーに変えて生きて何かを得られる人はよほど才能があるか特別な人間だろう。

あれほどの体力を消耗し精神的に疲れて怒ったり泣きわめいたりしてもそれで得られたものとはなんだろう。たとえ相手を分からせることができても、いつのまにか離れていかれるのがほとんどだろう。

じゃあ無駄なことじゃないのか?むしろだれもいい気分にならないのではないか?
じゃあ感情的になることは生産性のない行動ということなのか。

ではここで、「感情的になる」のメリット・デメリットをあげてみよう。

【メリット】
・アーティストなら良い作品が生み出せる
・俳優なら演技がしやすい
・相手を圧倒させることができる
・スッキリしていい気分になれる
・面倒なやりとりをすっ飛ばして物事を解決できる

【デメリット】
・人から距離を置かれやすい
・相手を傷つける場合がある(トラウマを植え付けるなど)
・判断を誤る場合がある
・話し合うことが不得意になる
・一般人の場合得られるものが少ない


このような感じだろうか。
よく考えるとメリットは当事者のみで周りの人間にはなにもいいことがない。
なのにデメリットは周りの人間を傷つけることばかりだ。

ということは「感情的になってしまう」のではなく「感情的になりたい」だけなのではないのだろうか。


何も生まないばかりか失うものばかりということだ。
百害あって一利なしということか。酒タバコギャンブルと似たようなものか。

ここで「なりたくないのにどうしても感情が抑えられない。我慢しても無理だ。」
ということは、アルコール依存ニコチン依存ギャンブル依存とおなじなのか。



こう考えると鳥肌が立つ。
大なり小なり感情的になってしまうことがあるだろう。
自分に原因はないのに損をした、このひとのせいで損をした、などなど。

自分は絶対に悪くないのに、ということから、なんでどうして、というようなことまで。

そこで感情を捨てて向き合うことができると割と楽に解決できるのだろうか。
でも結局「感情的になる」以外の方法であらゆる物事とどう向き合うのか?と考えたときに残された方法は1つで、「感情的にならない」ということなのだ。

はじめはつらく失敗もするだろう。
我慢しても無理でやっぱりだめだ、ということもあるだろう。

しかしそれでいいのだ。今まで頼り切っていたものを捨て切るには相当な時間がかかるだろう。もしかするとまたさらに誰かを傷つけるかも知れない。
けれどもうそれはしょうがないのだ。その度に少しずつできるようになればいいのだ。

という気持ちで、余裕のある人間になろうと思った。
後悔することややり直したいと思うことをこれ以上増やさないようにするのだ。

自分は人よりも何もかもできるようになるまでが遅いので、人が富士山を3回登れる間にやっと1回登れた、という感覚だ。

でもそれでいいのだ。登れればいいので1回でも3回でも関係ない。人より遅くてもできるようになればいい。